テーラーの型紙によるイージートラウザー【前編】


ブランドアイコンの「テーラードTシャツ」に続き、現在リピーターが増加しているのが「イージートラウザー」です。ドレスでもカジュアルでもない、独自路線を歩むこのパンツはどのようにして生まれたのか。その背景を訊くために+CLOTHETのパンツを監修するテーラー・五十嵐徹氏のアトリエを訪ねました。
※この記事は前後編でお送りします



蓄積されたデータから最適解を導き出す


生地のクオリティへの絶対的な自信とともに、+CLOTHETのアイディンティティのひとつになっているのが、テーラーのパターンメイキング技法を採り入れるアイデアです。しかし、ビスポークが顧客一人ひとりと対話し、その人のためだけに満足のゆく品をつくるのに対して、既製品に求められるのは万人がいいと思えるもの。そんな発想のスタート地点からして違う両者を融合させ、「イージートラウザー」誕生の立役者となったのが五十嵐徹氏です。


1987年生まれの五十嵐徹氏は、大学在学中にテーラリングの修業をスタートし、2014年にトラウザーズ専門のビスポークハウス「IGARASHI TROUSERS」を創業。人体の構造や普段の生活のくせなどを考慮したオリジナルの型紙によるパンツづくりに定評があり、日本国内だけでなく、アジアや欧米でも支持されています

東京・赤坂の閑静な住宅街に佇む瀟酒なマンション。窓に「IGARASHI TROUSERS」と描かれた一室に、五十嵐氏が代表を務める世界的にも稀有なビスポーク専門のトラウザーズメーカー(東京事務所)があります。以前は原宿にアトリエを構えていましたが、20182月に本社を山梨県甲府市に移転。現在は山梨と東京を行き来しながら、6名の精鋭スタッフで年間約2,000本ものパンツを仕立てています。


IGARASHI TROUSERSには、これまで何千本とビスポークでパンツを仕立ててきた際に集めたデータが蓄積されています。それを見れば、年齢や職業によっても標準的な体型がだいたいわかります。例えば、腰から下のバランスが前にある“前腰”や、ヒップが平坦でボリュームのない“平尻”は、日本人に多い補整が必要な体型です。+CLOTHETでは、そうしたデータをフル活用して、美しいシルエットで、かつ動きやすいパンツづくりを目指しています」


CLOTHETでの五十嵐氏の主な役割は、テーラーの観点からフィッティングや見え方、生地の選定に関するアドバイスをすること。そのうえで、型紙(パターン)の調整や、トレンドについての意見交換なども行います。型紙は+CLOTHETの企画チームが持参したものと、それをもとに製作されたサンプル(試作品)を見比べながら、調整が必要なところに赤線を引いていきますが、手を加える部分が多すぎて型紙が真っ赤になってしまったことも。それくらい、既製品とビスポークでは型紙のつくり方に隔たりがあるのです。


それでも+CLOTHETの壁打ち相手となり、細かな修整を繰り返すうちにパンツづくりの完成度が増し、ファンに支持されるようになると、当初はベーシックな「1プリーツトラウザー」だけでスタートしたパンツが、クラシックをベースにする五十嵐氏の得意な「2プリーツトラウザー」に進展。さらに、デビューから2年経った2020年には「イージートラウザー」が登場します。

パンツの良し悪しは型紙で決まる

それまでのイージートラウザーといえば、モード色の強いものや、スポーツウェアから派生したようなカジュアルなものが主流で、ドレッシーな顔つきのスラックスタイプはほぼ皆無でした。というのも、ジャストフィットを前提とするクラシックスタイルでは、ウエストにゴムやドローコードを入れるのは、邪道ともいうべき仕様。IGARASHI TROUSERSでも年に数件オーダーがあるものの、ビスポーク業界でこれを手がけるテーラーはあまりいなかったころです。それでも五十嵐氏はヒットの予感があったと語ります。


「既製品のよさを最大限に生かしたつくり方をすれば、必ず受け入れてもらえる自信がありました。パンツのフィッティングで最も大切なのは、ヒップのサイズが合っていることなのですが、日本人のほとんどはウエストで合わせるため、ヒップやももの周りが窮屈になってしまうケースが散見されます。でもイージー仕様のパンツなら、ウエストの数値に神経質にならずに済むので、ヒップで合わせてきれいにパンツをはくことが難しくありません。これを入り口にして、シルエットの美しさや、はき心地のよさを体験してもらえれば、+CLOTHETのファンになってくれる人が増えると考えました」


フロントのアウトプリーツは、五十嵐氏の美意識が凝縮された部分。イージー仕様とはいえ、あくまでも見た目はドレスパンツという独自路線を貫くために、プリーツにはIGARASHI TROUSERSのビスポークトラウザーズと同量の生地を折り込み、深いひだを形成しています。

ビスポークでは一般的にシワのないものがいいというのがセオリーですが、このイージートラウザーでは、極限までシワをなくす一方で、それでも生じてしまうシワをデザインとして見せることにこだわったといいます。


「日本人に多い平尻のほとんどは、骨盤が横に向けて張っているため、両サイドのポケット脇に限界までイセ(※1)分量を入れ、ラインをカーブさせることで身体へのフィット感を高めています。ただ、イージートラウザーの場合は、通常のパンツよりウエストにゆとりをもたせてつくらなければいけないため、イセ込みによってできるシワの位置をこれまで以上に綿密に計算しなければなりませんでした」
※1)身体の丸みに沿うように、長短2枚の布の長いほうを縮めて縫うこと


腰のトップ部分にイセ込みをもってくるには、高度な技術が必要。均等にゆとりを入れていかないと意図しない場所にシワが出てしまい、見栄えが悪くなってしまうため、熟練の職人を抱える縫製工場でしかできない仕様です。


ウエストのゴム下がイセを入れた部分。IGARASHI TROUSERSのビスポークトラウザーズでは両サイドに約2㎝ずつイセ分量をとりますが、コストや手のかけ方まったく違う既製品では1㎝程度が限界だとか。

「また、パンツは横から見て、ウエストが前下がりになるのが正しいはき方とされていますが、平尻の人に多い前腰の体型だと、後ろのほうが下がってしまい、そこに余計なシワが入ってしまいます。ただ、その部分のゆとりをなくしてしまうと今度は脚が上がらなくなってしまうため、単純に生地を削るのではなく、ヒップのだぶつきを解消しながら、動きやすさを損なわないように型紙を微妙に調整しています」


パンツは4枚の生地で仕立てるシンプルな構造なゆえ、最良のバランスを見つけ出すのが難しいといわれています。1箇所に手を加えるとほかの部分に影響が出てしまうだけでなく、ほんの数ミリ違うだけでまったく別物になってしまうため、型紙づくりには技術や経験だけでなく、繊細な感覚も欠かせないのです。


前腰の体型だと、既製品では正しくパンツをはける人が少ないと五十嵐氏。手でつまんでいる部分がだぶついてしまうところ。


(後編に続く)

Photos: Teppei Hoshida


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